上田万平 (開拓者)
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上田 万平(うえだ まんぺい、1841年〈天保12年〉- 1917年〈大正6年〉)は、北海道札幌市中央区円山の基礎を築いた開拓者たちの中心人物。
同様に後継人として円山の発展に尽くした上田善七の兄である。
来歴
[編集]1841年(天保12年)、南部藩士・中村甚四郎の次男として生まれるが、弟の善七とともに上田家の養子となり以後は当家の姓を名乗る[1]。
1855年(安政2年)、藩命を受けて室蘭陣屋に1年ほど在籍する。このとき15歳[1]。
1871年(明治4年)3月、開拓使の募集に応じて家族ともども円山に入植し、村の組頭を務める[1]。万平は開墾を手がける一方で、飢饉に備える必要性を感じ、米を貯蔵するための倉庫を各地に建てた。また、妻に酒雑貨屋を開かせたところ、石工たちが顧客となって繁盛する[2]。
1875年(明治8年)、円山村副総代に選出。1876年(明治9年)には総代に就任し、以後30年間にわたり各種の公職を歴任する[2]。
1884年(明治17年)、開拓使の廃止後に貯蔵していた準備米が大蔵省へ移管されたため、「円山積穀会」を設立して民間による食糧備蓄を始める[2]。
1910年(明治43年)、万平の功績を称えて、藻岩村が大通西20丁目に「上田一徳翁之碑」を建立する[1]。
1914年(大正3年)、藍綬褒章受章[2]。また同年には北海道庁の許可を得て、善七とともに円山登山道を切り開いた[3]。
遺産
[編集]円山積穀会の活動は、万平亡き後も1930年(昭和5年)まで続けられた[2]。
上田一徳翁之碑は、札幌伏見稲荷神社境内へ移されている[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 片岡秀郎『札幌歴史散歩』ヒルハーフ総合研究所、2012年7月14日。ISBN 978-4-9906400-0-2。